silent silent



雪が音を吸う、というのはアリスも知っていた。

アリスの世界で住んでいたあたりはそれほど雪深い方ではなかったけれど、それでも冬は時々雪が降ったし、本好きのアリスは色んな話でそんなシーンを読んだものだ。

だから雪は静寂を連れてくるというのは知っていた。

知っていたけれど、その静寂がこんなにも幸せを運んでくるものだとは、知らなかった。

クローバーの塔は今、エイプリル・シーズン真っ直中。

窓の外はしんしんと雪が降っている。

けれど、クローバーの塔の中の時計塔の一室・・・・というとなんだかややこしいけれど、要するにユリウスの仕事場はとても暖かかった。

それは指先を使う細かい作業をユリウスがやっているせいもあるのだろうし、もしかしたらどうも服を替えるタイミングがはかれず始終薄着で居るアリスの為、というのもあるのかもしれない。

(・・・・なんて、少しうぬぼれすぎかしら。)

くすっと口元だけで笑ってアリスは肩からかけたショールを腕に巻き付けた。

しゅっとハートの城の女王様からもらった上質の布が腕を滑る音さえも聞こえるほど、ユリウスの部屋は静かだった。

ユリウスの仕事場の一角にあるソファーを占領していたアリスは膝の上に載せていた本のページをめくる。

ぱらり、と微かな音。

きっと山ほど積もっているであろう雪のせいか、外の世界の音は聞こえない。

聞こえるのは、自分の息づかいと、時折ページをめくる音と、ショールを直す音と、それから。

カチャ・・・・カチャ・・・・・・

断続的に聞こえる金属音にアリスは本から目を上げずにくすっと微笑んだ。

この静寂の世界で、自分のたてる音以外のもう一つ。

時計の部品を触る音、小さな工具の音、定期的につかれるため息、それは。

(ユリウスの音がする。)

クローバーの塔に引っ越しさせられて以来、ずっと聞けなかった時計塔の日常の音がそこにはあった。

本を引き寄せるようにして顔を上げれば、紙の乾いた音とソファーの表面を擦る音。

そしてアリスの空色の瞳に、紫紺の髪の青年が映る。

相変わらず真剣な顔というか、渋い顔というか迷うような顔をして。

丁寧に部品を組み合わせていてアリスが見ている事にも気がついていないようだ。

それをいいことにアリスは本の上を通り抜けて視線をユリウスに固定した。

外はしんしんと降る雪の世界。

いつもはクローバーの塔から何かしら物音(ナイトメアが逃げて部下が追いかける音とか、グレイがナイトメアに雷を落としている音とか)が聞こえて来てもおかしくないのに、今日はやけに静かだ。

(ナイトメアが真面目に仕事しているのかしら。)

もしくは夢に逃げてグレイ達が諦めたかだ。

後者だと嫌だなあ、と思うのはアリスもまたクローバーの塔の一員だからか。

でも、今は考えるのはやめようとアリスはそのことを意識の外へ追い出した。

(・・・・まるで世界に二人きり、なんてロマンス小説の定番みたい。)

いつもだったら鼻で笑ってしまうシチュエーションだけれど、きっと今のこの部屋を例えるならそれが一番ぴったりだろうと思った。

カチャ・・カチャカチャ・・・・パチン・・カチャ・・・・

不規則な部品の音。

不機嫌そうに見える顔にさらに皺を刻んで、時々はき出されるため息。

そして、アリスの煎れたコーヒーを飲む音。

とくんとくん、という自分の鼓動まで聞こえそうな暖かくて幸せな静寂に、ふいに泣きそうになる。

その時。

「・・・・おい」

「!」

唐突に、本当に唐突にユリウスが静寂を破った。

そしてアリスにはまずいことに、ユリウスは言葉と同時に顔を上げたのだ。

何の前触れもなく。

おかげで、ばっちり目が合ってしまった。

「あ・・・・」

無意識にこぼした声が、ことんっと部屋の床に転がって。

その瞬間、ばれた、とわかった・・・・さっきからずっと見ていた事が。

何故なら目が合った次の瞬間、もしかしたら音さえも聞こえるんじゃないかと思うほどハッキリとユリウスの顔が赤くなったから。

「お、お前、本を読んでたんじゃなかったのか?」

「え?あ、うん。読んでたんだけど・・・・」

あんまりこの空間が幸せで貴方を見ていたくなった、なんて。

(ど、どこの女ったらしよ!?)

口に出すことなど到底考えられない甘甘な台詞にアリスは思い切り顔をゆがめた。

それをどう取ったのか赤かったユリウスの顔が渋くなる。

「・・・・つまらなかったのなら勝手に戻ればいい。私に断る必要などないからな。」

「え?ああ、そう取るの?」

本も読まずにユリウスの方を見ていたのは、部屋を出て行く挨拶をしようとしていた、と取ったのだとわかってアリスは苦笑した。

相変わらずネガティブ方向には思考がアクロバティックだ。

「つまらなくなんかないわ。」

「なら本を読んでいればいいだろう。急に音が聞こえなくなると気にな・・・・あ」

明らかに言い過ぎた、という顔をするユリウスにアリスは目を丸くする。

まさかユリウスの方も自分の音を聴いているなんて思いもよらなかったから。

ついでになんだか酷く居心地悪そうにしているユリウスがまた、ものすごくくすぐったくて。

「えーっと・・・・」

「・・・・・・・・・・・」

「コーヒーでも煎れる?」

「・・・・ああ。」

ぶすっと不機嫌そうに返ってきた声は分かりやすすぎる照れ隠しだ。

思わず零れそうになる笑いを堪えながら、アリスはソファーから立ち上がってユリウスの仕事机の上に乗っていたシンプルなマグカップを取り上げる。

台所は仕事部屋のすぐ隣。

すぐにこの部屋にはユリウスの作業の音と、アリスがコーヒーを煎れる音が混じりあうのだろう。

時計塔と同じ配置だからすぐわかる扉に手をかけたところで、ふっとアリスの胸に悪戯心が生まれた。

アリスがコーヒーを煎れると言う事で、さっきの会話がお終いになったと思ったのか、ユリウスの作業の音がまた部屋に響いている。

カチャ・・・カチャカチャ・・・・

静かな部屋と作業の音。

外は世界を白と静寂に包む雪。

だから ―― ちょっとだけ静寂に悪戯を。

作業場から小さな台所に続くドアを潜る刹那、アリスは口元を笑みの形にして小さく小さく囁いた。
















「・・・・ユリウス、大好きよ。」















―― 直後、いつになく静かだったクローバーの塔にユリウスがレンチを落っことした音が響き渡ったのだった。












                                                 〜 終 〜












― あとがき ―
ジョーカーをやって、自分がどんだけユリアリ好きだったか思い出しました(笑)